わたしたちの身近にある発酵食材。
常備している人が多いものの、
その食べ方のレパートリーは意外と少ないかもしれない。
そこで世界の料理に精通する森枝幹シェフが、
アレンジレシピを考案。
自宅の台所から、世界の食卓へ出かけてみよう。
今回のお題は「チョコレート」。
めくるめく味のグラデーションを楽しめる、
チョコレートソースとは!?
メキシコの伝統料理でおなじみの「モレ」。たくさんの食材を入れてつくる栄養たっぷりのソースで、その味はまるで薄いベールを重ね合わせたかのように複雑で奥深い。特に現地でポピュラーなモレの一つが、チョコレートを入れるもの。メキシコを旅した記憶をもとに、森枝さんが日本の家庭でも簡単にできる再現レシピをつくってくれた。神秘的でパワフルなモレづくりに挑戦しよう。
人類とカカオが出会ったのはいつか、その時代には諸説があるが、紀元前から古代メキシコでは、カカオは“神様の食べ物”だったという。
甘くないし固形でもない、スパイスを加えたとろりとしたチョコレート・ドリンク。それは太陽崇拝の血のしたたる儀式に欠かせない聖なる供物であり、特権階級のみが口にできる極上の妙薬でもありました。また、ときにはカカオ豆1粒でトマト1個、100粒で野うさぎ1羽が交換できるなど、貨幣のようにも使われていたのだそうだ。
14世紀にスペインの侵略が始まったのち、チョコレートは長い航海の末にスペインへと伝播した。甘みをまとったのはこの頃だ。スペインは、なんとその後100年もこのおいしい“秘薬”の存在を世界に隠し続けた。
16世紀にこの甘美な秘密はついにイタリア、フランスに流出する。今ではすっかり世界中で愛されているこのチョコレートが、発酵食品である事実は意外と知られていない。
カカオの実を木からもいだあと種子を取り出し、木箱に入れたりバナナの葉に包んだりして発酵させる。すると種子の中の成分が変化し、独特の味と香りが生まれる。その後乾燥させてできたカカオ豆を加工したものがチョコレートというわけだ。
古代メキシコの民が、チョコレートを“薬”とみなしたのは正しかった。「日本チョコレート・ココア協会」によれば、チョコレートに含まれるカカオポリフェノールが、健康維持に欠かせない善玉コレステロール値のアップ、血圧の低下、強力な酸化抑制効果などをもたらすことがわかっているという。
また近年では、チョコレートを食べることで脳の血流量が増え、さらに“脳の栄養”といわれる因子「BDNF」の値が上昇することもわかってきたという。記憶力・学習能力の向上なども認められたというから、学生やビジネスマンにとってはうれしい話。今後さらに研究が進めば、チョコレートがうつ病や認知症の予防や改善に貢献する日が来るかもしれない。
カカオと人類が出会った運命の地、暑いメキシコに森枝さんが降り立ったのは、今から4年前のこと。お目当ては、当時この地にポップアップストアを出していた“世界一予約の取れないレストラン”と言われていた〈noma(ノーマ)〉だ。イギリスのレストラン誌が選ぶ「世界ベストレストラン50」第1位に4度も輝き、世界を魅了し続ける料理界で異彩を放つ存在である。
ノーマで提供された、アリの卵を使った一皿(写真提供:森枝幹)
「ノーマの料理は驚きの連続でした。アリの卵、豚一頭の丸焼きにタコス、海藻サラダ…。初めて見るものばかりで楽しかったですね! もちろんチョコレートも登場しました。といってもいわゆるお菓子ではなく『モレ』として、です」(森枝さん)
そもそも「モレ」とはソースの総称で、例えば「ワカモレ」はアボカド(ワカ)のソースのこと。いろんな種類があるのだが、日本で単に「モレ」というと、チョコレートを使ったソースを指すことが多い。ここではその例に倣おう。
「モレはまるで、和食でいう味噌のような存在。メキシコ人たちは何にでもつけます。トルティーヤ、パン、ビスケット。あるいは牛肉、鶏肉、ポテト。家庭でもよくつくるし、もちろん料理店でもおなじみ。とくに高級レストランに行くと、必ずと言っていいほど“自慢のモレ”があるんですよ」(森枝さん)
4年熟成のモレ(写真提供:森枝幹)
現地のモレは1年、2年と熟成させたものもザラ。長いものだと5年熟成というものもあったそうだ。まるで老舗の秘伝のタレのようだったと森枝さんは振り返る。
「味わいはまろやかで、それでいてどっしりとして、複雑。まさに脳が混乱する味でした。だいたいの料理は何が入っているか分析できるけれど、モレだけは何を食べているのか全然わかりませんでしたね。でも、やけにうまい。こんなにわからない食べ物がまだあったか! と思いましたね」(森枝さん)
使う素材は家庭によってまちまちだが、多くの場合、スモーキーな唐辛子、酸味のあるトマト、甘みのあるドライフルーツなどを使う点が共通している。モレに使われる食材の半分以上はスペインから持ち込まれたものだといわれる。
「どの唐辛子を使うかによっても味わいが変わるのですが、メキシコの市場で売られている唐辛子の種類は数え切れないほど。家庭の数だけモレがあるというのも納得ですよね。つくづく奥の深いソースです」
そんな当時の記憶をたどり、日本のおうちの冷蔵庫にあるもので再現するレシピをつくってくれた森枝さん。モダンで、かっこよくて、食欲をくすぐるモレに挑戦だ。
まずは、ニンニク、セロリ、玉ねぎを粗みじん切りにする。
フライパンにサラダ油をひき、シナモン、コリアンダー、チリパウダー、カイエンペッパー、オールスパイス、クローブなどのスパイスを入れて軽く炒める。香りが立ったら、刻んだ野菜を中火できつね色になるまで炒めよう。焦がさないようにするのがポイントだ。
「スパイスを先に入れて軽く炒ることで、より香ばしさが引き立ちます。シナモンは、スティックでもパウダーでもどちらでもOK。本場では、ここでスモークの効いた唐辛子を入れるんです。もし家にスモークタバスコのようなものがあるなら、少し足すといいと思いますよ」(森枝さん)
フライパンの中に、赤ワイン、トマト缶、コンソメ、レーズンを入れて、ひと煮立ち。
「この後さらにチョコレートが入るので、煮詰めすぎないのがポイントです。“ちょっと煮詰めたカレー”くらいの濃度を目指しましょう。もし濃くなりすぎたと思ったら、水を足してくださいね」(森枝さん)
味見をし、必要ならオールスパイスやクローブを追加して味を調整。シナモンスティックを入れていた場合はここで出しておく。
ここからの調理は、弱火だ。チョコレートを砕きながらフライパンに入れていく。
「モレづくりには、カカオ率が高めのビターなチョコレートが適しています。今回は、一般的なスーパーに売っている無糖のブラックチョコレートを使いました」(森枝さん)
チョコレートがきれいに溶けたら、塩で味を調整し、中身のソースをフライパンからブレンダーに移して、2〜3分かけてよく混ぜる。なめらかになったらソースは完成。
「さて、このソースを何にかけるか。合わせる食材はシンプルなものほどベターです。今回は薄味の鶏むね肉のローストをメインに、バターで軽く味付けしたマッシュポテトを添えましょう」(森枝さん)
鶏肉が焼き上がったら、薄く包むようにとろ〜りとモレを回しかけ、余っていたセロリの葉を刻んでトッピング。
より現地に近い一皿を目指すなら、唐辛子やゴマ、チーズをかけてもいい。品よく少量を盛り付ければレストラン風に、どさっとラフに盛り付ければ家庭風のスタイルになるので、お好みで。
「できました、『メキシコ料理 モレ』です! さあ、いただきましょう」(森枝さん)
チョコレートのモレがつややかに光る一皿は、和食ではなかなかお目にかかれない迫力。これからやってくるハロウィンパーティなどでもよく映えそうだ。熱々の湯気をたてる鶏肉にナイフを入れた森枝さん、一口食べて「よしよし」とにっこり。
「現地の味わいに近く、なおかつ日本人好みでもある“イイ線”を突いた味になりました! いろんな食材を混ぜ合わせた、モレらしい、めくるめく味のグラデーションをぜひ楽しんでください。チョコレートの風味があるから、甘みと酸味のあるドリンクとの相性もバツグン。乳酸菌の風味のある『カルピス』ともよく合いますね」(森枝さん)
モレのたっぷりとかかった鶏肉をかむと、舌から胃の腑にしみじみと行き渡る滋養の味。チョコレートの香りとトマトの酸味。そして、食欲をそそるニンニクの風味がやってきて、やがてレーズンや玉ねぎの甘みがじわりと広がる。
「茹でただけのとうもろこしにかけてもいいし、タコスはもちろん、バゲットにもよく合うはず。味の濃すぎない、軽さのある食材ほど、この濃厚なモレの良さが生きます」(森枝さん)
ぺろりと少しなめるだけでも不思議と心が満たされて、疲れた体がよみがえるような気がする魅惑のソース。ぜひおうちでお試しを。