日本の地域に息づく伝統的な発酵と、発酵と共に生きる人々の暮らし。それは日本が誇る食文化のひとつです。そんな“発酵”を探し求める旅へ。読めば、地域と発酵がもっと好きになる。
今回は、「へしこ」発祥の地、福井へ。
福井県の若狭地方は、かつて朝廷へ海産物などを納める地域「御食国(みけつくに)」だった。若狭湾では、サバが多く獲れ、京都まで運ばれる道は「鯖街道」と呼ばれていたそうだ。また、四季がはっきりとして昼夜に寒暖差のある気候、水源が豊富で名水と呼ばれる湧水や地下水が多いことなど、農業に恵まれた条件が揃った土地でもある。
そんな福井では古くから、夏から秋に収穫された農作物などを発酵させ、保存食にしていた。冬の福井は辺り一面が雪に閉ざされる。保存食、発酵食は生きていくためにも必要だったのだ。
「福井は米、そしてその畔でつくられる大豆が豊富な地域です。大豆麹と米麹と塩だけでできているシンプルなおかず味噌『もろみ』は、つくっている味噌屋さんの商品名だけど、地元の人はみんなもろみと呼んでいます」
福井の食文化に詳しい、郷土料理研究家の佐々木京美さんに、現在も食べられている福井のポピュラーな発酵食品をいくつか教えていただいた。
「『なすの地辛子漬け』は、永平寺周辺の郷土料理。夏場にたくさん採れるなすを塩漬けし、冬に塩抜きして米麹と地辛子を混ぜ、漬け込みます。『はまな味噌』は福井全域で幅広く食べられている発酵食品。塩漬けのなすや、きゅうりに大豆麹、米麹、甘酒などを混ぜて発酵させたものです。昔は家庭でもつくられていて、それぞれ味を楽しんでいたようです」
「もろみ」(左上)、「はまな味噌」(右上)、「なすの地辛子漬け」(手前)。
米麹、大豆麹を利用した発酵食品が多くある一方で、若狭湾の豊かな漁場でたくさん獲れる魚介類も、米ぬかや米麹を使って発酵させ、保存していた。その代表格が魚のぬか漬け、へしこである。
樽に押して漬け込むことを若狭言葉で「圧し込む(へしこむ)」と言ったことが語源だともいわれる。そのつくり方は、内臓を取った魚を2週間塩漬けした後、ぬかと一緒に樽に仕込んで、夏を越して10ヶ月ほど熟成させて完成する。材料の魚は主にサバが多いが、イワシやイカもある。冷蔵庫のない時代、保存がきくへしこは夏場の貴重なたんぱく源でもあった。
樽から取り出したばかりのサバのへしこ。
左から、佐々木さんがつくってくれた、イカへしこオイル漬けを使った蕎麦パスタと、へしこバーニャカウダ。
福井県若狭地方では、このサバのへしこから、なれずしがつくられている。なれずしは全国にあるが、へしこを原料とするなれずしは、田烏周辺のごく限られた地域だけのもの。今でもお正月やお祭りなど、おめでたい席に並ぶご馳走として親しまれている。
小浜市の市街地から車で20分ほどの若狭湾沿いにある田烏にある「田烏なれずし工房」。ここでは添加物を使わない伝統製法「本づくり」が行われていて、地域特有の食文化の継承を目指しているそうだ。
左から、「田烏なれずし工房」のスタッフの皆さん。廃校になった旧田烏小学校を工房として使用している。
へしこやなれずしづくり体験できる。
へしこの本場、田烏にある民宿〈佐助〉の森下左彦さんは、へしことなれずしの達人だ。
「この辺で、へしこづくり始まったのは江戸時代からともいわれています。うちでも代々つくっていました」
森下左彦さん(左)/サバの養殖場(右)
へしことなれずしを熟成する蔵の中を見せてもらった。訪ねたのは8月の夏真っ盛りだったが、魚の生臭ささは感じず、かつお節や味噌のような匂いが漂っていた。
森下さんが使うのは、若狭湾で獲れる国産のサバが中心。自家製が多いぬかは、親戚が育てた米を精米したものを使用する。一つの樽に70〜80匹のサバを入れ、80キロの重石を乗せる。へしこは木樽でつくるほうが、木の香りが魚にマッチして、いい塩梅になるという。
「最近は調味料で味付けしたへしこもありますが、それだと調味料の味が勝ってしまうように思うので、自分は何も加えたくないですね。使うのは、ぬかと塩と唐辛子を少しだけ。サバの旨味をどう引き出すかがこだわりです」
田烏では以前からサバの養殖にチャンレジしており、近年より「酔っぱらいサバ」というユニークなブランド名で発売を開始した。酒粕を餌に加えていることから、そのネーミングが付いたという。森下さんも2019年の年明けから、60匹ほどをへしこに仕込んだそう。近々酔っぱらいサバのへしこや、なれずしが誕生する予定だ。
もうひとりのへしこ名人は、田烏からも近い矢代という集落にある〈釣り船・民宿かどの〉の角野高志さん。角野さんも昔からの伝統的製法を守り、材料はぬかと塩と少々の唐辛子のみ。無農薬のぬかにもこだわっている。
「ぬかは無農薬であることはもちろん、全部味見して、おいしいと思うものだけを使っています。ぬかだけで食べてもおいしいです」
左から、角野高志さん。角野さんがつくったへしこ。
昔から矢代では各家庭でへしこがつくられ、角野さんも子どもの頃から食べていた。親の代でつくることはやめていたが、福井県立若狭高等学校教師で、へしこ研究の先駆者、小坂康之先生に教わったやり方でつくってみたところ、おいしいへしこができ、次第にハマってしまったそうだ。(小坂康之さんの詳しいお話は、「HAKKO INTERVIEW ③」へ)
つくり始めてまだ5、6年とのことだが、ぬかの量を増やす、魚の洗い方を変えてみるなど、日々研究熱心。角野さんはへしこを焼くのも上手で、網に乗せ、弱火でじっくり炙るのがコツだそう。絶妙な焦げ目がさらなるおいしさを引き出し、旨味がジュワッと口の中に広がって、一切れで楽々ご飯一杯食べられる。
冬は雪に閉ざされる日本海の気候風土と若狭湾という豊かな漁場がもたらした、この地域独特の発酵食文化。へしこは福井の人々に今も親しまれ、日常の暮らしに溶け込んでいる。
address:福井県小浜市田烏61-4 旧田烏小学校
tel:0770-54-3152
web:http://wagasode.com/
adress:福井県小浜市田烏36-47
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adress:福井県小浜市矢代4-42
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