発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。
福井県を代表する発酵食品といえば「へしこ」。魚(主にサバ)を、ぬか漬けにしたものである。塩気の中に芳醇な香りと奥深い旨味があり、ごはんがいくらでも食べられる。酒のつまみにも最適な一品だ。福井県の若狭地方は昔から漁業が盛んだったため魚の保存技術が高まり、へしこもつくられるようになったといわれる。(へしこの詳しいお話は、「HAKKO LOCAL JOURNEY ④ 福井」へ)
しかし、へしこのおいしさについて、これまで科学的に理由を解明されたことはなかった。へしこづくりにはいくつかのルール(後述)があるが、それらの多くは、つくり手たちが引き継いできた伝承技術だ。生きるための知恵として、淡々と続けられてきた奇跡の営み。そんなへしこの不可解な謎に疑問を持ち、サバへしこの製造技術と品質形成を自ら研究、博士号まで取ってしまったのが、福井県立若狭高等学校で教師を務める、小坂康之さんだ。
小坂さんは神奈川県の出身。昔から海が大好きで、将来は海に関する仕事をしたいと、東京海洋大学(さかなクンと同じ!)で学ぶ。教員免許を取り、海洋教育では全国で最も古く歴史のある、福井県の小浜水産高等学校(現在は統合され若狭高校)で晴れて教師になった。
「憧れの高校でめでたく教師になれたのですが、入ってびっくり。当時は泣く子も黙る荒れた不良学校でした」
どんな授業をすればいいのか。小坂さんが泣きながら毎日、試行錯誤を重ねていると、ある日「へしこの授業をやってみ」と、先輩教師に言われた。
「最初はへしこがまったくわからず、ホームセンターに探しに行ったくらい。当時の自分は周囲から『東京から来たお坊ちゃん』という目で甘く見られていたんです」
これは本気で向き合わなければ、と直接へしこ職人のところへ出向き、一から教わるようになった。聞けば職人さんも水産高校の出身だった。
「昔の水産高校の先生は、子どもたちの教育以外に、技術の伝承や開発、地域の問題解決、水産業に貢献することも仕事だ、という話を聞きました。その言葉は、今も自分の指針になっています。また、へしこづくりについて職人さんにもわからないことが多いので、解明して欲しいと言われました」
大学時代、小坂さんは微生物の研究を行う研究室に所属していた。研究内容は、アルコール発酵で温度が上昇しても死滅しない最強の耐熱性酵母を探すこと。へしこ研究は、自分の専門分野の探求欲を刺激した。
職人さんが語る、へしこづくりのルールとは
・両手ごっぽり(いっぱい)の塩で漬ける
・すえ(塩水)を張らないとあかん
・夏を越さないとあかん
・しらとりが出ると風味が良くなる(しらとりが出る=白い菌体、主に産膜酵母が表面に発生する)
これらは一体なぜなのか? それを丹念に研究・解明していくと、へしこづくりの言い伝えは、科学的にも理にかなった方法であることが小坂さんの研究で判明した。例えば塩分濃度が15%以上ないと魚は腐敗してしまう。「両手ごっぽりの塩」「すえを張る」は、雑菌を防ぎ、嫌気性、好塩性の乳酸菌が増え、適度な酸の風味も加わって複雑味が出る、まさにちょうどいい理想的環境なのである。
また、30℃以上の温度が3ヶ月以上続くことで、アミノ酸が増大し、濃厚な旨味が加わることもわかった。温度が低いとこの芳醇な味わいは生まれない。夏の暑さで腐らないかと心配になるが、雪に閉ざされた寒い冬の時期からつくり始め、ぬかと塩水の中で7ヶ月熟成させると雑菌はいなくなってしまうという。日本海沿岸地域の気候風土なればこそのへしこなのだ。職人が経験から得た感覚は、科学的にも間違っていないことが証明された。小坂さんはこの研究で博士号を取り、以後「へしこ博士」と呼ばれるようになった。
若狭高校の生徒たちは小坂さんに連れられて、どんどん外へ出て行くようになった。
「子どもたちにも水産業の現場を体感してもらいました。港で捨てられる魚を見せ、へしこづくりの現場で職人と話し、へしこの研究を一緒にする。すると、子どもたちの目がキラキラし始めたんです。
彼らだって世の中に貢献したい、自分にも役割があることを求めているんだと気づきました。今でこそ子どもたちが主体的に行動する学習方法は世界の主流になってきていますが、当時はそんなノウハウはなく、自分の直感でこのやり方に必死でしがみ付いていましたね」
生徒たちが能動的に研究に加わることで、個人の能力が伸びる。小坂さんの活動は先進的教育のモデル事例として注目され、講演する機会も増えていった。生徒たちは海外の人とスカイプでやりとりし、グローバルな視点で水産業や環境問題を考える力をつけるまでに成長している。
小坂さんは現在、地元の水産業をサポートし、地域活性化を図るための活動も行っている。廃棄される魚の有効利用や、観光客の誘致など、地域が稼ぐための手段を模索し、アイデアを提供している。もちろん、業者にへしこの伝統的なつくり方も指導している。小坂さんの指導はなかなか厳しいそうだ。
「へしこって、片手間でもそれっぽいのはなんとなくできちゃうので、本当においしいものをわかってつくっている人とそうでない人がいる。僕はおいしくなかったらズバッと言うので、業者さんに嫌われることもあります。でも誰かが言わないとダメになる。この地域のブランドとして品質を高め、伝統を伝えるためには、自分は鬼になって対応しています」
実際に小坂さんとへしこに出会って、へしこ職人になった若者もいる。小坂さんに学び、つくったへしこは、今や入手困難なほどの人気商品になった。
へしこを探求すればするほど、昔の人のすごさを目の当たりにする、という小坂さん。先人に学ぶことの大切さ、そこから得た多くの知識を、より良い形で地域に還元できるよう努めている。福井の代表的郷土食・へしこをきっかけに、多方面で新たな可能性を導き、地域全体が変わろうとしている。