発酵インタビュー

発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。

震災ですべてを失ってから9年。
八木澤商店の河野通洋が復興のシンボルを
2020年、陸前高田に誕生させる

posted:2020.11.13

岩手県陸前高田市の歴史ある味噌・醤油蔵〈八木澤商店〉。2011年の東日本大震災で、街の99%が津波に呑まれ、八木澤商店も全てを失った。醸造蔵の命とも言える、微生物たちの棲む、もろみの入った大きな木桶も全部流された。しかしその後、同じく被災した釜石市の水産技術センターに微生物研究のために預けていたもろみが奇跡的に見つかりニュースになったことは、あの当時のささやかな明るい希望として記憶に残っている人も多いかもしれない。何もない状態から立ち上がり、社員を誰一人解雇せず、常に未来へのビジョンを示してきた、八木澤商店9代目社長・河野通洋(こうのみちひろ)さん。聞けば陸前高田を再び活気ある発酵の街にするための具体的な動きがあるという。そこで今までの奮闘と現在着々と進んでいる計画について話を伺った。

陸前高田は元々、
水のきれいな“発酵の街”だった

八木澤商店は1807年の創業。元々は酒蔵として始まり、戦後から味噌や醤油の製造を行うようになった。津波に流される前まで建物があったのは「今泉」という地域。この地名の由来は、地元の寺〈泉増寺(せんぞうじ)〉にある霊泉「今白水(こんぱくすい)」から来ているのではないかといわれている。昔からきれいな水がこんこんと湧き、醸造に適した地域だったのだ。

「うちの道路向かいにも、裏隣にも、昔からの味噌・醤油蔵がありました。酒蔵もあったし、小さな醸造蔵がひしめき合って、お互いにいい塩梅で成り立っていました。街全体の日常が“発酵”とものすごく密接に結びついていたんです。子どもの頃、学校から帰ってくると、大豆を蒸したり、小麦を炒ったり、醤油の火入れをしたり、そういう醸造に関わる匂いが常に街の中に漂っていました。それぞれの蔵には井戸があり、その水で味噌や醤油を仕込んでいました。小学生たちが通りがかりにうちの店先に寄って、井戸水を一杯飲んでいく、なんていう光景も当たり前のことだったんです。あまりに日常過ぎて意識していなかったけど、今思えば、いい環境で育ててもらったなと思います」

震災で津波に流される前の八木澤商店

河野さんは高校生の時にテレビで知った、世界中の砂漠の緑地化に関する活動を行なっている、鳥取大学名誉教授で農学者の遠山正瑛(とおやませいえい)先生に憧れていた。遠山先生は緑地化するだけでなく、農作物の育て方を教え、土地の人が自立した生活を送れることを目指していた。高校卒業後アメリカに留学して農業や環境を学んだことも、遠山先生の影響が大きかったそうだ。

八木澤商店は自家農園を持っていたし、河野さんの家系は代々環境問題に関心が高く、祖父は豊富な魚介が獲れる海を守りたいと、漁民と共に広田湾の埋め立て計画の反対運動を行い、支援団体の会長を務めていた。両親は、子どもたちに安全なものを食べさせて育てたいという思いが強く、添加物を使わない手づくりの料理がいつも食卓に上がっていたという。八木澤商店で製造する商品も、化学調味料や保存料、着色料等は使わない、体に優しい自然素材がベースである。

「初めてのおこづかいで、ジャンクなお菓子を買ったら見事に親に全部捨てられた思い出があります(苦笑)」

正義感が強く、どんな相手でもひるむことなく善悪を訴え、相手の話もしっかり聞いて議論する、という常に筋の通った姿勢を示していた祖父の影響は大きく、地域のために震災当時も今も多岐に渡って活動する河野さんの心の指針になっているようだ。

雇用を諦めず、希望の火を灯し続ける

「でも会社に入りたての頃は、本当に生意気で酷い奴だったんですよ」と河野さんは苦笑いする。「メディアでは震災後の立派な部分だけ切り取られがちなんですが、入社時はどうしようもない後継者だって、みんなが頭を抱えていたくらいだったんです」

そんな河野さんが成長するきっかけをつくったのは、地域の中で中小企業の経営者たちが集まって勉強する「中小企業家同友会」だった。会社の経営状況をお互いに見せ合うほど、強い結びつきを持っていた。そもそも陸前高田は少子化、過疎化で衰退の一途を辿っており、子どもたちは18歳を過ぎるとみんな都会へ出て行ってしまう。その原因をつくったのは中小企業の経営者なのだから、自分たちが責任を持って新しい仕事を生み出し、魅力あるビジョンを示していかなければ。そうすればきっと、喜んで参画してくれる人が増えるに違いない、と結論付けて活動していた。「小さくても持続可能な社会をつくる」という将来の展望ができあがった頃に津波に襲われた。

震災後の陸前高田の様子

街もない。家もない。お客さんもいない。何もない中で、残ったのは生身の人間だった。

「普通の社会生活において、家族の次に大きなつながりがあるのは会社の仲間です。家を無くし、家族を亡くした上に、そこを断ち切ってしまったら…。もうこれ以上死人は出したくなかった。なんとしても雇用を守らなければならなかった」

河野さんも他の経営者も皆会社すらなく、まだ遺体を探しているような状態の時に、来年度の新卒をどうするかを考えなければならなかった。そこで岩手県内の進路指導の先生を全員集めて話をした。先生がこの街には希望もはたらくところもないから諦めて外に行けと子ども達に言ってしまったら、それで終わってしまう。9月には必ず求人票を持って行くから、自分たちを信じてくれと嘆願した。空威張りだったが、必死で雇用を守った。

「先生に、そのまま生徒たちに話してくれと言われて、僕が話したのは、いつまでも被害者面して下向いてんじゃねえぞと。こんな話、外の人はできないんですよ。同じ立場の人間じゃないと。復興にはこれから10年はかかるから、今18歳の君たちは28歳になる。その時に、この街は俺たちが復興させたんだって胸を張って言えるのが君たちの世代。ここにはまだまだやらなきゃいけないことがたくさんあるから、諦めなくていいよ。これから仕事は山ほどあるからって言いました」

震災後すぐに河野さんは社長に就任。社員は一人も辞めさせず、知り合いの経営する自動車学校の一角を借り、支援物資の配送を手伝いながら、地元企業の救済のために銀行に働きかけるなど奔走した。5月には一関に営業事務所をオープンし、業界では珍しい、信頼する同業者にレシピを公開して醤油のOEM生産を開始。震災の1年2ヶ月後には製造工場を設立し、その5ヶ月後に本社を陸前高田に戻した。奇跡的に見つかったもろみは「奇跡の醤」として商品化し、2014年より発売を開始した。想像を絶する過酷な状況下だったが、多くの人の支援を受け、少しずつ再建の道を歩んでいった。

2020年、八木澤商店の跡地に
「CAMOCY(カモシー)」がオープン

自社の再建と並行して、復興のためのまちづくりを行う「なつかしい未来創造株式会社」を創設し、河野さんも中心となって活動した。若い起業家を育て、実際に40社ほど新しい会社が生まれたという。その中のメンバーも関わって、2020年の12月に新しい施設がオープンすることになった。胸を張って自慢できる10年後を本当につくってしまったのだ。発酵をテーマにした商業施設「CAMOCY(カモシー)」である。麹を発酵させて味噌や醤油をつくる時の「醸す」という言葉からイメージしてネーミングが決まった。

「会社を立ち上げたのは去年の6月ですが、実は震災の年の7月にはもう、『今泉を発酵の街にする』というアイデアが出ていたんです。その後、街づくりについて何度も話し合いを重ね、陸前高田を愛する人たち、故郷に戻って来た人たちが、好きだった街の雰囲気を感じられるような場所をもう一度つくりたいと思いました」

CAMOCYには、パン、クラフトビール、チョコレートなど、バラエティに富んだテナントが入っており、どれも発酵なしには完成しないもの。パン屋さんは陸前高田の復興にずっと関わってきた〈ツオップ〉の伊原靖友シェフが支援しており、なんと、ここでパンをつくりたいと東京から移住した職人が2人もいるそうだ。オープン時の出店は7社だが、実際にはこの事業に何十社と関わっており、震災後の仲間とも言える人のつながりがいい感じにジョインしてくれた、と河野さんは言う。

CAMOCYのすぐ近くには、八木澤商店や他の醸造蔵が新しい製造工場を建てる予定があり、来年には川向かいにワタミの農業テーマパーク〈オーガニックランド〉も開業予定だ。CAMOCYの建物は地元の森の間伐材を使い、街には電気バスが走る。最先端技術を駆使しつつ、古き良き土地の文化を大切にし、自然環境が守られ、体にいいものを育て、微生物の恵みで人々は健康に暮らせる……そんな小さくても持続可能な理想郷をつくろうとしている。

「地方は少子化、高齢化と目の前の問題に惑わされがちですが、世界全体で見ると、人口は増え続けているんですよね。その中で日本ほど安全で清潔で、医療も教育もしっかりしている国はない。世界的な社会問題を考えた時、日本はノアの方舟になり得ると思うんです。陸前高田は震災であれだけ酷い目にあって、何もなくなって、田舎だし、交通も不便なんだけど、小さくても強い、持続可能なシェルターのような存在になって、そこに住んでいる人たちが幸せに暮らしているってことが実現できたら、日本全国の同じような街の希望になれるんじゃないかと。あいつらができたんだったら、俺たちもできるんじゃないかって。そう思ってもらえたら勝ちですね」

明けない夜はない。
夜明けに向けて、今がチャンス

2020年春より、新型コロナウイルスの猛威で、世界中が大きな打撃を受けている。八木澤商店も売り上げが3割ぐらい減ったとのこと。それでも、今がチャンスと河野さんは元気に語る。

「東京へ海外へと、今まで飛び回っていたんですけど、コロナで動けなくなってしまったので、社員を集めて週に3回、発酵の講義をしています。みんなでパンやチーズをつくって、納豆もつくりました。味噌屋が納豆ですよ(笑)。みんな発酵のスペシャリストになっているはずです。八木澤商店の最大の強みは、家族のような関係性なんですが、陸前高田の本社と一関の工場に別れてから、ちょっと気持ちがバラバラになっていたんですね。それが、コロナのおかげでみんなが集まってものづくりをして、団結力というか仲間意識というか、気軽になんでも言える関係性が深まったように感じます。売上は下がりましたが、みんなが一丸となって進める心強さは感じています」

明けない夜はないのだから、夜明けの時に何が起こるか、予告して準備しておくことも大事ではないか、と河野さんはいう。実は今発酵に関わる人々を取材し、YouTubeに撮りためて、今後発信していく準備もしているそうだ。

「発酵の話はやっぱり面白いんですよ」と笑顔の河野さん。未曾有の災害という大変な時期を経験し、リーダーとしてみんなを引っ張り一見強気でパワフルなイメージもある河野さんだが、実際には、こんな言い方をしていいのか、もう少しほっこりとした、やわらかく人懐こくて親しみやすい人だった。そして、気づくと常に人をワクワクさせている。CAMOCYのオープンが一層楽しみで待ち遠しくなった。

八木澤商店
河野通洋(こうの みちひろ)さん
1973年岩手県陸前高田市生まれ。1807年創業の味噌・醤油蔵〈八木澤商店〉九代目。高校卒業後、渡米しコロラド州の大学に入学。帰国後1999年八木澤商店入社。2011年東日本大震災で社屋・工場・自宅が全壊。同年4月八木澤商店九代目社長に就任。岩手県中小企業家同友会理事、復興まちづくり会社なつかしい未来創造株式会社専務取締役。2020年オープンの陸前高田の発酵パーク〈CAMOCY〉を主宰。

陸前高田 発酵パーク CAMOCY(カモシー)
https://camocy.jp

八木澤商店
https://yagisawa-s.jp