発酵インタビュー

発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。

発酵が世界の心をひとつにする、を信念に
「こうじ料理研究家」の浅利定栄が日本と世界を飛び回る

posted:2020.7.17

今では一般的に広く知れわたるようになった、発酵好きにはおなじみの「塩麹」。しかし麹業界は一時期、衰退の一途をたどっていた。そんな時、江戸時代の文献『本朝食鑑』をヒントに、アレンジした麹の調味料を世に広め、塩麹ブームを巻き起こした立役者がいる。大分県佐伯市で創業300年を超える老舗〈糀屋本店〉を営む、浅利妙峰(みょうほう)さんである。

発酵・麹好きなら、妙峰さんの名前をすでにご存じの方も多いと思うが、その妙峰さんの息子である浅利定栄(じょうえい)さんは、現在「こうじ料理研究家」として麹の普及活動に勤しみ、日本と世界に活躍の幅を広げつつある。一風変わった経歴を持つ定栄さんだが、麹と真摯に向き合う、熱い想いについて話を伺った。

何気なく進んだ、看護師の道

老舗糀屋の長男として生まれた定栄さん。子どもの頃から発酵食品は日常の食卓に上がる当たり前の風景だった。

「味噌汁は毎日出ていたし、夏になると祖母がつくってくれていた、ニガウリとナスの味噌炒めが好きでした。甘酒と味噌を溶いて絡めるだけで、ご飯にも合うんですよ。豚の味噌漬けとかもよくつくってくれましたね。人数が多いからいつも大皿料理でにぎやかでした」

昔は家の外の長い廊下に板を敷き、そこに蒸米を広げて麹の種菌をつけていたことをよく覚えているという。蒸したての米をつまんで味見したり、作業用に敷いたダンボールの上に転がって遊んだりしたのも良い思い出だ。

「でも学校で糀屋と言っても誰も知らなかったし、自分もよく分からなかった。当時、麹はそれほど需要がなかったので、うちでは梱包材とかドライアイスとか、いろんなものを売って商売していました」

高校時代に「命のビザ」の話を読み、杉原千畝に憧れたという定栄さん。将来は外交官など海外と関わる仕事を目指していた。しかし大学受験にことごとく失敗。落ち込む定栄さんが、今からでも受験できる大学があると知り合格したのが、宮崎医科大学医学部の看護学科だった。

大学生活はそれなりに楽しく、実習で関わった精神科では、病気自体を観察するだけでなく、人の心に寄り添って看護するということが、自身の思う看護の概念と一番近い印象があり、今の定栄さんにもその思想が根底にある。

ゼミでは生化学を選択し、食べ物が体の中でどのように分解され、体にどんな変化を与えるかを学んだ。当時はなかなか頭に入ってこなかったというが、今は大いに役立っているそうだ。

「甘酒がなぜ体に良いのか、先生の本をもう一度読み返してみたら、そうだったのか! と納得したり。自分でちゃんと体の仕組みを理解した上で、麹の役割を説明できることは大きいです。当時は全然やりたいことじゃなかったのですが、今はこんなにも役立っていて、看護師の勉強をしておいて本当に良かったなと思っています」

地球の裏側で出会った、家業の麹

一方で海外への憧れは大学卒業後も続き、看護師になってからも、はたらいてお金を貯めてはバックパッカーとして世界中を旅することを繰り返していた。しかし次第にそれでは物足りなさを感じるように。

「旅をするのは楽しいけれど、自分のキャリアを考えるなら、ちゃんと現地に住んで仕事をしてみたかったんです」

そこで青年海外協力隊に志願し、飛び立った先はなんとパラグアイだった。看護師として赴いたが、現地での配属先は思っていた以上に整っていたため、病院外での仕事を探したという定栄さん。ひょんなことで日系人と知り合い、健康講座を開くことに。そこで聞いたおばあちゃんたちの会話に定栄さんは衝撃を受けた。

「そろそろ味噌つくるけど、麹ある? っていう話をしていて。皆さんは戦前戦後にパラグアイに移住された方々で、麹も味噌も自分たちでつくっていたんです。麹って外国でも普通につくれるの? って驚いてしまって」

パラグアイの人々は、たまに日本に帰る人に麹菌を持参してもらい、発泡スチロールにお湯を張り、その中に小さな箱を入れて温度を調節し、麹をつくっていた。定栄さんも現地の人に教えてもらって自分で麹をつくるようになったそうだ。まさか地球の裏側で、実家の家業である麹に出会うとは!

パラグアイの日系移住地で「塩麹」のワークショップを開催(写真提供:浅利定栄)

「それまで麹に全然興味がなかったのに、もうこれは、受け容れるしかないと思いました。パラグアイに行かなかったら、今こうして麹の仕事はしていなかったと思います」

定栄さんがパラグアイにいた頃、日本では発酵食ブームが起こっていた。母である妙峰さんはテレビや雑誌に登場し、海外でも講演するなど、精力的に活動していた。麹のもつ健康効果が見直され、麹業界全体が盛り上がり、〈糀屋本店〉も人手が足りなくなっていた。

今後、麹は世界からも注目され、広がって行くことを感じた定栄さん。それは自分のやりたいことであり、そこに必要とされる役目を担うことができると確信した。パラグアイでの2年の任期を終えると実家に戻り、麹の製造や加工、出荷まで、改めて一通りの業務に携わるようになった。

食の専門家として、イタリアで学びを深める

次に定栄さんが行ったのは、食の専門家としての研鑽を積むことだった。もともと食べることが好きで、子どもの頃から料理もしていたそうだが、食そのものについて本格的に学んだことはなかった。食科学に関する修士号が取りたい、と考えた定栄さんが進学したのは、イタリアのスローフード協会の創始者が設立したという食科学大学大学院(UNISG)。

「看護師として、体の健康面から麹の話をすることはできますが、食科学という目線からも伝えることができれば、もっと話に深みと説得力を加えることができると考えました」

大学院の生徒はアメリカ、アジア、ヨーロッパ、南米など世界中から集まり、ジャーナリストやコックなど職業も様々だった。授業外ではお互いに自国の料理を教え合うなど、活発な交流があった。デンマークのレストラン〈noma〉が発酵料理を提唱し始めた頃でもあり、世界的にも麹に関心が集まっていた。定栄さんもあちこちから声が掛かり、味噌や醤油について教えていたという。

UNISGの学生と一緒に味噌づくり(写真提供:浅利定栄)

「世界の様々な国の人に麹の料理を振る舞ったのですが、日本人がおいしいと思うものが、外国人にとってもおいしいとは限らない。味噌や醤油はクセがあるから苦手という人も結構いました。ただ、塩麹はすごく評判が良くて。麹の味や香りがあまり前に出ることなく、素材自体の旨みを深めるんです。だから世界各地の郷土料理に加えても、和風にはならず、その国の料理のまま、味のレベルを上げてくれる。食べた外国人が誰も違和感を訴えず、なんでこんなにおいしくなるの!? って言われることが多かった。これは大きな発見でした」

在学中に行うインターンでは、スローフード協会のプロジェクト「ARK OF TASTE(味の箱舟)」に関わり、日本の発酵食品を調査したインデックスづくりを行った。修士論文は「日本の発酵食文化」。その中では、食文化の歴史は発酵なしに進化は語れず、人間の食生活をより豊かなものにするために、発酵食品が不可欠であることを訴えた。プレゼン資料は発酵のことが分かりやすくまとめられており、今でも活用しているという。

「イタリアで得たものは多く、特に人間関係は大きな財産です。何か疑問が沸いたら世界中に頼れる仲間がいるというのは心強い。彼らとの食についての情報交換は今も続いています」

発酵についてのワークショップにパネラーとして参加した(写真提供:浅利定栄)

イタリアの大学院でまとめた修士論文の資料

麹を中心に幅広く活動。発酵で世界をひとつに

日本へ戻った定栄さんは、誰とも違うユニークな経験を生かして、〈糀屋本店〉の「こうじ料理研究家」として多方面で活躍。年に数回は海外へも行き、妙峰さんの通訳サポートをしつつ、自身でも麹の講演、料理教室などを行なっている。

「麹に興味を持ってくれる人は世界中にすごく増えています。味がおいしくなるからという人もいれば、美容や健康への効果に関心を持つ人もいて、ベジタリアンやビーガンの人からも注目されています。また、例えば肉と麹菌を発酵させるとか、世界には日本人が考えないような面白い使い方を研究している人もいて、刺激を受けるしヒントをもらいます。麹を取っ掛かりにいろんな人とつながりができ、多様な機会をもらっているのは本当にありがたいです」

かつて高校時代の先生が卒業アルバムに書いてくれた「よい仕事をするためには、よいものを食べなさい」という言葉。それは今も定栄さんの心に深く響き続けており、講座で話すことも多いという。良いものとは決して高価なものという意味ではなく、手をかけ愛情込めて育てた食材だったり、その土地に代々伝わるものだったり、お皿の上に乗るまでのストーリーがあるもの。また、食べることで会話や笑顔が生まれるものもそうだ。

「食のストーリーを知り、人と人との会話を深めることで、より豊かな気持ちになれる。そういう暮らしのお手伝いができたらうれしいです。世界各地で麹の普及に勤めているけれど、そこに無理はあって欲しくなく、その土地の文化を尊重しながら、程よいバランスで寄り添えたらいいと思う。僕はジョン・レノンの歌『イマジン』が大好きで、自分の名刺にも一部歌詞を引用して“with fermentation, the world will be as one” と書いているんですけど、発酵の力で、世界の人々の心がひとつになれたらいいな、という気持ちで活動を続けています」

信念を持って活動する定栄さんの今後にますます注目していきたい。

浅利定栄(じょうえい)
1982年大分県佐伯市生まれ。宮崎医科大学医学部看護学科卒業後、看護師として勤務の傍ら、東南アジアを中心に20数か国を旅したのち、2011年から約2年青年海外協力隊としてパラグアイに赴任。2016年イタリア食科学大学大学院にて食文化とコミュニケーションについての修士課程修了。現在は〈糀屋本店〉の「こうじ料理研究家」として東京、海外を中心に糀の普及活動に携わる。

糀屋本店https://www.saikikoujiya.com