発酵インタビュー

発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。

能登は発酵パラダイス!
〈能登イタリアンと発酵食の宿 ふらっと〉の
ベンジャミン・フラットと船下智香子が
地域の伝統発酵文化を未来へ継承する

posted:2022.2.18

石川県能登半島の先端に近い、ぺこりとお辞儀をするように曲がった内海側に位置する能登町。この地には、はるか昔より脈々と続いてきた人々の暮らしがあり、ほかでは失われてしまった古き良き日本の伝統文化が今も息づいている。

そんな能登町に、地元の新鮮な旬の素材と手づくりの発酵食を使った、その土地らしい料理を楽しめる宿がある。国内はもとより、海外からも多くの人が訪れる〈能登イタリアンと発酵食の宿 ふらっと〉だ。ここで料理を振る舞っているのは、オーストラリア人のシェフ、ベンジャミン・フラットさん。通称ベンさん。ベンさんはプロの料理人からも一目置かれる存在だ。日本人にとってもディープカルチャーな奥能登で、土地への深い敬意と愛情を注ぎながら、地元に伝わる発酵食品を伝統的技法で自ら仕込み、「能登イタリアン」という独自の料理スタイルを確立させたのだ。

ベンさん、そして一緒に宿をもり立てている妻の船下智香子さんに、能登の発酵文化とその魅力について、話を伺った。

共に料理好きの両親の下に生まれた
二人の必然的な出会い

オーストラリア・シドニーから北西に約255km、車で3時間ほど行った内陸の小さな町に生まれたベンさん。子どもの頃から料理が好きだった。実家はファームトゥーテーブル(農場から食卓が近い環境で、新鮮な食材を地産地消する)のレストランを営み、両親はシェフ。自分たちで畑を耕して農作物を育て、ヤギや鶏も飼っていた。ベンさんは13歳くらいからキッチンで手伝いをしていたそうだ。当時はまきストーブのオーブンを使っており、一年中、朝から晩までオーブンの上には何か鍋がのっていた。部屋の中はいつもいい匂いが漂い、それが大好きだったという。

「オーストラリアの学校では、男女関係なく好きな科目を選べるのですが、私は家庭科を選んでいました。先生に頼まれて、いつも私がレシピを考案し、メニューのプランを立てていましたよ」とベンさん。料理人になるのは自然な流れだった。

一方、智香子さんは、能登町で祖父母の代から続く民宿〈さんなみ〉に長女として生まれた。〈さんなみ〉は本物の郷土料理を提供する評判の高い名宿で、両親の代には漫画「美味しんぼ」にも登場するほどだった。両親は地元の食文化の継承に大変熱心だったそうで、父親は能登の魚醤「いしり」づくりの名人として唯一、石川県が認定する〈ふるさとの匠〉に選ばれた人物でもある。

子どもの頃から家で手づくりの発酵食品を日常的に食べていた智香子さんだったが、田舎の家では当たり前のことで、当時は特にそれほど興味もなかったという。若いうちにさまざまな経験をしたいと海外に憧れ、家族の反対を押し切って、ワーキングホリデーで日本語教師としてオーストラリアへ渡る。その時のホームステイ先が、ベンさんの両親の家だったのだ。これはもう、運命的な出会いといってもいいかもしれない。

驚異に満ちた能登の発酵食品の魅力に
のめり込んだ

いずれは船下家を継いでほしいと両親から言われていた智香子さんは、1年で能登へ帰ることを決めていた。ベンさんはシドニーでイタリアンレストランのヘッドシェフ(料理長)を務めていたが、智香子さんと一緒に能登へ。家を引き払い、家具も友人に譲り渡して、移住の覚悟で日本に来たのだった。

しかし智香子さんの両親は結婚に猛反対。ベンさんは、まずは民宿の手伝いをさせてほしいと申し出た。外国人に郷土料理などわかるわけがない、と職人かたぎで頑固な智香子さんの父親は最初そう思っていた。それでも、伝統文化を敬い何にでも面白そうと興味を持つベンさんに、かねてこの土地の本物の郷土料理を伝承したいと願っていた智香子さんの両親はなんでも教えてくれたそうだ。

日本の中でも特異な環境である能登は、ベンさんにとって初めての体験ばかりで興味津々だったという。なかでも能登に来て、ベンさんがとにかくびっくりしたのは何もかもがおいしいこと。特に魚はどれも新鮮でピチピチしている。捨てるところがなく、内臓まで全部食べられる。そしてそれ以上に驚いたのが発酵食品だった。

「しょうけば」と呼ばれる漬物置き場

「樽のフタを開けると、中にはきっちりと並べられたお魚が、とったばかりのようにキラキラと青光りしていて、とてもきれいでした。3年漬けていると聞いてびっくり。まさかどうやって??意味がわかりませんでした」(ベンさん)

こんなに面白い経験は滅多にできない、とベンさんは目をキラキラ輝かせて、能登の郷土料理、発酵食品のつくり方をコツコツと学んだ。ベンさんが台所に入って1か月後、頑固だった智香子さんの父親から包丁がプレゼントされた。ベンさんは家族として迎えられたのだ。

ここにしかない、
多種多様で独特な能登の発酵食品

能登の郷土料理に携わって、もう20年以上になるベンさん。今となっては日本人以上に詳しくなり、地元の人がベンさんにつくり方を教わりにくるほどだ。能登にはほかではなかなか見かけない独特の発酵食品がいろいろとあるそうで、いくつか紹介してもらった。

いしり

能登地方に古くから伝わる魚醤で、醤油より昔からあったともいわれる。地域によって「いしる」「よしる」などとも呼ばれ、鯖やイワシでつくるところも。能登町ではイカの内臓と塩だけで漬け込む。イカを使っているのは能登町だけで、大変珍しい魚醤だ。1年以上漬けたものが一般的だが、〈ふらっと〉では3年熟成させ、よりまろやかな奥深い味わいを出している。魚の旨みをたっぷり凝縮させた濃厚なだしのようなもので、和洋問わずさまざまな料理に使える。

こんかいわし

石川県では、魚をぬかで漬けたものを「こんか漬け」と呼ぶ。イワシを使った「こんかいわし」は、能登地方の郷土食で、ベンさんの大好物だ。〈ふらっと〉では朝食の定番メニューとして宿泊客に提供している。「ちょっとあぶって、ご飯の上にのせて食べるのが最高!」とベンさん。ぬかも捨てずに焼き、ふりかけのようにして食べるとおいしい。

ひねずし

塩漬けにしたアジとご飯を、山椒の葉や唐辛子と一緒に漬け込んだなれずしの一種。ヤギのチーズのような深い旨みとやさしい酸味があり、海のチーズともいわれる。主に奥能登でつくられ、準備は春から始まる。この地域の夏祭りには絶対に欠かせないごちそうなのである。能登ではお祭りの時に「よばれ」という習わしがあり、仕込んでおいた保存食を振る舞って、おもてなしをする。その時の主役が「ひねずし」だ。各家庭自慢の自家製「ひねずし」を、あーだこーだと言いながら食べるのもお楽しみのひとつ。祭りの時期にはスーパーなどでも安い値段で売られており、能登らしい文化として今も続いている。

べんこうこ

地域や家庭によってつくり方はさまざまあるようだが、能登町の「べんこうこ」は、干した大根をいしりに数日から数週間漬けてつくるシンプルなお漬物。珍しいのは焼いて食べることだ。炭火でじっくり焼けば、お酒のつまみにももってこいである。

このように多様な発酵食品が、日々の暮らしに欠かせないものとして、今も昔ながらの製法でつくられ、食べられている。「それもこれも能登という自然環境のおかげです」と智香子さん。海、山の新鮮な素材が容易に豊富に手に入る環境で、例えばいしりは、温度管理など全くせず、ほぼ外気と同じ状態で保存・熟成しているという。冬の厳しさや夏の蒸し暑さなど、この土地独自の気候が微生物にはちょうどいいバランスで影響を与え、勝手においしいものをつくってくれるのだ。

また、都会から離れた流通の不便な地域であったことが、独自の食文化をつくり上げた。「隔てられた環境の中で知恵と工夫を凝らし、暮らしをつないでいくために発酵の技術が磨かれたのではないか」と智香子さんはいう。集落ごとに独自の祭が今なお多く残っていることもこの地域の大きな特徴で、祭と食は深く結びついているようだ。

多様な生物資源と里地里山、生態系を守るために伝承されてきた独自の農林漁法など、豊かな環境の中で、自然と共存してきた能登の人々の暮らしは高く評価され、世界農業遺産にも認定されている。

能登の伝統文化を守り、
次の世代へつなげたい

ベンさんは、智香子さんの両親から教わった伝統的な発酵技術を忠実に受け継ぎ、その土台の部分には何もアレンジを加えていない。はるか昔から現在まで途絶えることなく続いてきた技法は、長い年月の中で人々が何度も試行錯誤を繰り返してきた確固たるやり方。できる限りその本物の文化を次世代に伝えていくのが自分たちの役目だという。

「能登のディープカルチャーに触れ、そのコミュニティに深く関わることができ、自分は本当にいい経験をさせてもらったと思う。義父母には心から感謝しています」とベンさん。

〈ふらっと〉の夕食に登場する「能登イタリアン」は、ベンさんが考え出したオリジナルだ。自家製の伝統的な発酵食品をベースに、そこから自由に発想を広げて自分らしい料理を表現している。イタリアンという誰もが親しみやすい料理を通して、能登の郷土食の懐の深さ、揺るぎない食文化を伝えたい、という思いが込められている。

「新しい食べ方を経験してもらうことで、能登の食材や発酵技術への理解が一層深まると思っています」(ベンさん)

いしりと朝とれのイカスミを使った手打ちパスタ

能登の食文化は世界からも注目され、デンマークにある世界一のレストラン〈noma(ノーマ)〉の料理チームが発酵について学びに来たこともあれば、イタリアのスローフードの大学から依頼され、現地で講義をしたこともある。

「世界中でもここだけにしかない、オンリーワンでユニークな本物の食文化が、昔から今までずっと変わらず続いていることは、能登の最大の魅力だ」と、ベンさんも智香子さんもいう。そして先代から受け取ったバトンを次の世代にしっかり渡していきたい、そんな二人の思いは子どもたちへと伝わっていく。

「息子は発酵食が大好きなんです。18歳からいしりも一緒につくり始めました。結構重労働なんですが、本人は音楽をガンガンかけながら、遊びみたいに楽しそうにやっています。彼が宿を継ぎたいのかは分からないし、私たちは彼なりのやり方で何をしてもいいと思っていますが、この伝統的な能登の食文化だけはつないでほしいと願っています。息子も興味はあるみたいで、自分だったら将来はこんな風にプロデュースしたい、なんて話してくれるんですよ」と智香子さん。

ベンさんの以前からの夢は、能登に地元の食文化を伝承できる学校をつくること。コンビニエンスストアやスーパーマーケットで食材を購入し、日常食に地元の文化を取り入れる機会の減ってしまった世代は、発酵食品のつくり方を知らない人も増えている。一方で、彼らの息子のように、新しい感覚で楽しみながら興味を持ってくれる若者も多いと感じている。

玄関へと続く石畳。1日限定4組の宿だ

ダイニングルームからは日本海と、時には立山連峰が望めることも

かけがえのない能登の豊かな自然と、そこに寄り添うように紡がれてきた伝統文化。ベンさん、智香子さんは、先人たちに敬意と感謝を表し、これらを大切に守り受け継いでいる。そしてこの伝統文化が、より良いかたちで能登の暮らしの中にずっと続いていくことを心から願っている。

能登イタリアンと発酵食の宿
ふらっと
ベンジャミン・フラットさん
1965年シドニー生まれ。13〜18歳ソファラという田舎町で、両親が経営していたFLATT'S CAFE を手伝いながら料理の道に。30歳シドニーのイタリアンレストランでヘッドシェフをしているときに、現在の妻智香子と出会い来日、その後結婚。1997年に民宿ふらっとを開業し、2012年現在の場所に移転し現在に至る。
船下智香子さん
1970年能登生まれ。民宿さんなみの長女として能登に生まれる。大学卒業後地元の学校で講師をしていたが、オーストラリアで日本語教師を目指し渡豪。オーストラリアで現地の公立小学校などで日本語教師をして、1年後に帰国。ベンと結婚し、1997年に民宿ふらっとを開業し、2012年現在の場所に移転し現在に至る。

能登イタリアンと発酵食の宿 ふらっと
発酵びと

「みんなの発酵BLEND」の記事に登場した、
発酵に関わる“発酵人”たちをご紹介。