発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。

テレビや雑誌など多方面で活躍中の料理家・発酵マイスターの榎本美沙さん。簡単で体にやさしい発酵食や、季節に寄り添った旬のレシピなど、思わずつくりたくなる料理ばかりで、幅広い世代に人気がある。自身が本当にいいと思うものを多くの人に伝えたい、という思いが強い榎本さん。料理家になった経緯や、夢中になってしまった発酵食品の魅力について、話を伺った。
「これは一番ベーシックなお味噌。そしてこれは黒大豆、こちらは小豆でつくった味噌です」と榎本さんは冷蔵庫からタッパーを出して、それぞれ違う味噌の味見をさせてくれた。どれも豆の素材がもたらす奥深い味わいがあって、思わずおいしい! と声を上げてしまう。榎本家では毎年、榎本さんご本人と旦那さん、お子さん、3人それぞれで味噌をつくるそうだ。
「以前は夫とふたりでつくっていたのですが、子どもができたので、みんなで一斉にやってみようと思って。同じ場所で同じ材料、同じ分量でそれぞれにつくるんですけれど、食べ比べてみると全部違う味わいになるんですよね。夫は手が温かいので発酵が早いのかな? とか、子どもはまだ小さいから何か特別ないい菌がいるのかな? とか、いろいろ考えてみると、発酵って本当に不思議でおもしろいですよね」

榎本さんのキッチンの棚には、大小さまざまな形の瓶がずらりと並んでいる。その中身の多くは、手づくりの発酵食品だ。現在はかなりの発酵マニアに違いない榎本さんだが、昔は食べることに興味はあったけれど、そんなに料理好きだったわけではなく、子ども時代の友人たちには今の仕事の話をするとびっくりされるという。発酵食品に目覚めたのも料理家になってからだった。榎本さんが料理に向き合うようになったのは大学生の頃、家族が忙しかったことがきっかけだった。
「両親ともに働いていたので、暇そうに見える大学生の私が家の料理番になったんです。もう半ば強制的でした(笑)。でも、やってみたらすごくおもしろかった。例えば、家でもグリーンカレーがつくれるとわかったときは衝撃的でした。今まで外食していたものが家でできて、そのおいしさは素材の多様な組み合わせや調理法で無限大につくれる。料理ってすごいな、と思ったら楽しくて。そこから料理に目覚めました。両親は特別料理好きでもなかったのですが、今になって良かったなと思うのは、母が薄味好きで、例えば切り干し大根やひじきの煮物など、日本の伝統的な家庭料理を好きだったこと。そういうのをよくつくってくれたので、私も大好きでした。それは今の自分の料理にもつながるベースになっていると思います」


市販の発酵食品もよく使うという榎本さん。地方出張の際には必ずその地方の発酵食品を買ってくるという。
子どもの頃に食べた発酵食品といえば、と言って榎本さんが思い出した料理は、“丁字麩(ちょうじふ)のからし酢味噌和え”。滋賀の郷土料理である。榎本さんの祖母は滋賀の出身で、家に行くとよく出してくれ、大好物だったという。子どもの頃からベーシックな和食に自然と惹かれることが多かったそうだ。
「ちょっと渋めの和食が好きだったみたいで。祖母から受け継いだ料理は今も結構つくります。自分で特に意識はしていませんでしたが、和食を食べることが多かったおかげで、何となく普通に小さな頃から発酵食品の味には慣れ親しんでいたのかもしれません」
料理をつくるようになった大学生の頃から、榎本さんは自らメルマガを書いて発信することを始めた。「1人暮らしのレシピ」というタイトルで、月曜から金曜までの夕食レシピや、次の週の食事のための買い出しリストなどをコンテンツにして、毎週発信していたという。
「私はたぶん、人に何かを伝えることが昔から好きだったみたいです。学生時代はフリーペーパーのサークルに入って、気になる人をインタビューしてまとめる、みたいなことをやっていましたから。たまたま料理にハマって、その楽しさを何かしらの形で伝えたいと思ったときに、当時はメルマガが流行っていたんですよね。だから就職のときも、料理の魅力を伝える仕事に就けたらいいなと思っていました」
就職活動では、料理の魅力を伝えられる仕事に就きたいと活動し、食品や料理の広告をつくっていた広告代理店に入社した。ただ、総合広告代理店のため、さまざまな仕事があるなかで、実際には料理に関する仕事を受け持つことはなかなかできなかった。悶々とするなかで、やっぱり自分はどうしても料理の仕事がしたい、という思いがどんどん膨らんでいったという。
「私はMr.Childrenの大ファンなんですが、そんなときにライブに行ったら、彼らの頑張っている姿にすごく感銘を受けてしまって。自分も早く一歩を踏み出さなければ、と強く背中を押されるような気分になったんです。私が料理家になれたのは、Mr.Childrenのおかげです」

ついに腹を決めた榎本さんは、料理を仕事にするならまず基礎からしっかり勉強しないといけないと思い、会社を辞め、料理の専門学校に通ってみっちり学ぶことに。そこは比較的厳しい学校で、和食も洋食も中華も製菓も、総合的にすべて習得しなければならず、実技の試験も難しかった。
「私は不器用なので実技は本当に苦手で、人より何倍も練習する必要がありました。例えば大根のかつらむきの実技試験のときは、ひたすら練習して家の中が大根だらけになったりして。でもハードながらも、そこまで徹底的に学ばせてもらったことは、すごく良かったです。料理家はジャンル問わずいろんな料理をお願いされるので、今となってはあのときの頑張りがとても役立っています」
卒業したからといって、すぐに仕事が来るわけではない。前の会社から少しずつ仕事をもらったり、友人経由で料理の仕事を手伝って実績をつくったり、地道に経験を積んでいた。そんなあるとき、法事の帰りに偶然立ち寄ったイベントで、大手の味噌メーカーが出店していた。榎本さんは実は昔からみそ汁が大好きで、料理家になる前の会社員時代には、ランチに必ずみそ汁を持って行くほどだったそうだ。
そこで、ふと思いついて名刺を渡し、自分の活動と味噌愛について話してみた。するとちょうどいいタイミングで、その味噌メーカーは味噌のレシピを大量に必要としていたときだった。榎本さんは味噌料理の仕事を正式に引き受けることになった。
「まるで1000本ノックでした(笑)。その会社では塩麹や甘酒もつくっていたので、いろいろな発酵料理をつくることになり。大変ではあったけれど、どんどんおもしろくなってしまって。料理に発酵を取り入れると、肉が柔らかくなったり、旨みが増したりして、一層おいしくなる。しかもそれが体にもいいって、いいことづくめだなと思ったんです。自分の普段の食卓でもよく使うようになり、発酵に関する仕事が次第に増えて行くようになりました。でも発酵がなぜおいしくなるのか、感覚的にはわかっていたけれど、理論的に説得力のある説明をするには自分にはまだ知識が足りない。これはもっと本格的に勉強しなければと思いました」


お子さんも大好きだという「味噌バタートースト」
榎本さんは料理に関してとにかく向上心が高く勉強熱心だ。発酵について専門的に学び、「発酵マイスター」、そしてさらに上級の「発酵プロフェッショナル」の資格を取得した。レシピをつくるときには、発酵の仕組みを化学的に理解したうえで構築できるようになり、人にもわかりやすく説明できるようになった。また近年は薬膳の資格も取り、食の探求はさらにパワーアップ。料理をより多角的に深い視点で捉え、伝えられるようになった。
「昔から、季節のものをその季節に食べることが好きで、何となくそれが体にいいような気がしていましたが、薬膳を学んで、その根拠をきちんと理解することができました」
薬膳とは、中国の伝統医学である中医学に基づき、食材の持つ効能を生かして、心と体の不調を整え、健康維持や病気の予防などに役立てる食事のことである。
「でも薬膳はそんなに難しいものじゃなくて、季節の食材をおいしくバランスよく食べることが大切なんです。発酵も関係していて、胃腸を整えるような効果があるんですね。薬膳の考えで体にいい旬の食材を取り入れるとしても、そのベースとなる胃腸が元気であることが大事ですから、そこに発酵食品が役立つわけです。そういう意味でも、改めて発酵の良さを再認識しました」

この日榎本さんが用意してくれた「白きくらげの杏仁豆腐」。肺を潤す食材の白きくらげと、ソースに発酵食品のみりんを使用している。
榎本さんは、テレビや雑誌などメディアでの活躍のほか、自身でYouTubeの発信やオンライン料理教室を開催している。オンライン料理教室では、料理レシピを伝えるほか、お互いに交流して生徒とのコミュニケーションを大事にする時間も設けており、全国各地から幅広い世代に人気だ。さらに「tsumugi-te-(つむぎて)」という自身のブランドを立ち上げ、オリジナル商品を販売。そこに並ぶものも主に発酵食品である。
「醸造所などにお邪魔すると、発酵食品をつくる過程で捨てる部分があったりして、せっかくおいしくて体にいいものなのに、もったいないと思ったのが最初のきっかけです。一番初めに出した商品は『黒酢もろみのにごり酢』。お酢をつくるときに本来はろ過してしまうもろみも一緒に取り入れられたらいいなと思って。もろみの中には酢酸菌がたくさんいて、その美容や健康に関する効能は多くの研究結果が得られています。今ちょっとしたにごり酢ブームになっているくらい。あとは黒麹の甘酒など、一般にはあまり知られていない麹商品を見つけたら、その魅力も伝えていきたい。発酵好きで消費者寄りな、料理を仕事にする私がいいと思う商品をおすすめすることは、きっと意味があるんじゃないかなと思ってやっています」

榎本さんが手がける「tsumugi-te-」の商品。
榎本さんにとって発酵食品は、日々の暮らしに当たり前にあるもの。ほぼ毎食親しんでいる大切な相棒だ。発酵食品の魅力は、もちろん体にもいいのだが、まず食材の味へのアプローチがすごい、と語る。
「例えばミートソースをつくるときに味噌を入れると、味噌味にはならないのに、明らかにソースがおいしくなる。自らは主張していないのに、旨みが深まり、料理の底上げをしてくれる。発酵食品は縁の下の力持ちみたいな存在ですね。発酵のおかげで暮らしがアップデートされる。それは本当にすごいなと思っています」

東北生まれの発酵食品「三五八」を混ぜる榎本さん。
家事に育児に仕事に、と日々多忙に過ごす榎本さんだが、忙しい人ほど発酵食品を使うと楽になるんじゃないか、と話す。榎本さんの料理本には、シンプルな材料を使って一晩でできる麹の発酵調味料などがあり、できた調味料は何に使っても万能で、料理のレパートリーを広げてくれる。
「忙しいといろんな調味料を使って料理なんてできない。私自身がそうでした。でも体にはいいものを食べたい。そんなときに味噌や甘酒など、麹の調味料をちょっと入れるだけで味がすばらしく決まるのは助かりました。最近は味噌の本をつくったのですが、料理をよりおいしく引き上げてくれる、簡単な使い方のコツを多く紹介しています」

2025年11月28日に発売の新刊「榎本美沙のみそ本」の表紙。
昔から、多忙な日々でも毎日みそ汁を飲んでいた榎本さん。体を壊さず元気でいられるのは、麹の力が大きいのではないか、と。麹の未知なる偉大な力は、知れば知るほどますます探求したいことが増えていく。今後は外国語も勉強して、発酵の魅力を世界に伝えていくような活動もできたら、と榎本さんの夢は広がる。

「発酵に興味のある人は海外でも増えていると感じています。まずはYouTubeに英語字幕をつけるとか、私ができるのは小さなことかもしれませんが。あとは日本各地の発酵食品の現場を訪ね、その魅力を伝えることもやっていきたい。この仕事はすればするほど、まだまだ知らないことがいっぱいあると実感します。私自身が一番夢中になって楽しんでいます」
榎本さんの活躍の場は今後もさらに広がっていきそうだ。
